西照寺(岡野町) ~じょんのび高柳を「歩く」~

開祖の玄阿上人(?~1190年)は、承安3年(1173年)十日町市(旧 松代町)清水にこの寺を建立した。その後戦乱で灰となり、文安3年(1446年)岡野町に移された。元禄2年(1689年)に、徳川五代将軍綱吉(1680~1709年)により浄土宗別院として10万石の格式を与えられ、幕府直轄の寺院として手厚い保護を受けた。

西照寺の本尊

観音菩薩坐像・勢至菩薩坐像・賓度羅跋楕闍尊者坐像の三体は、江戸時代後期に郷土出身の仏師であった伊東長慶(通称 作左衛門)によって彫刻された。長慶は、京都で学び文化3年(1806年)に上越市の国分寺五智如来の一つである宝勝如来を製作。

その約30年後、西照寺でこの三体を製作した。長慶が郷土に残した遺作である。賓度羅跋惰闍尊者像は、通称”びんずるそんじゃ”と呼ばれている。

西照寺の旧本尊

阿弥陀如来立像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像。三尊とも寄木造りで、漆はくが施されている。製作年代、作者ともに不詳。元禄時代に補修された記録がある。作風から、阿弥陀如来立像は室町時代。他の二尊は、江戸時代の初期の作といわれている。

玄阿上人坐像

玄阿上人の肖像彫刻。上人の没後正治2年(1200年)に彫像された。作者不詳。スギ材の寄木造り。

素朴で簡潔な造りのなかに、写実的な鎌倉様式を漂わせている。高さ68㎝。

観経曼陀羅図

桃山時代の彈誓上人(1553~1613年)の直筆。上人は尾張に生まれ、京都で没した。40歳のころ佐渡に渡り、小木、出雲崎、米山を経て47歳のころ、諏訪唐沢に移った。曼陀羅図は、この前後の作といわれている。

涅槃像

製作年代は江戸時代中期といわれ、作者は不詳。33本の後光を配した正面向きの阿弥陀三尊に金泥が多分に駆使された密彩画で、来迎図としては珍しい様式。

大正13年(1924年)に表装がし直され、観音開きの屏風様に仕立てられた。

阿弥陀三尊来迎図

製作は江戸時代後期といわれ、作者は不詳。江戸の増上寺の図形(戦災で消失)を元本としている。他宗の涅槃像と違い、猫が描かれている。箱書きによると「延享四丁卯年(1747年)五月吉日塩沢村、樋口三郎右衛門(屋号 大坪)が施主」となっている。

拝観のお問い合わせ

西照寺
〒945-1502 新潟県柏崎市高柳町岡野町2516
TEL:0257-41-2304

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