石黒地区に伝わる伝説[柳郷の伝説]

蛇に乗った黒姫様

高柳の屋根、黒姫山の南西約3kmに「入山(いりやま)」というところがあります。山また山の石黒地区の平凡な山です。この山の八合目に付近に巨大な蛇の形をした岩石が浮彫のように眺望できます。この岩のことを「蛇岩(ジャイワ)」と呼んでいます。(※R353から見えます。)そしてこの蛇岩にはこんな話が伝えられています。 そのむかし、黒姫様は山頂から颯爽と白馬を駆って上石黒に向かわれました。地蔵峠を越えて入山にさしかかると、にわかに天候が変わり激しい風雨となりました。それに加えて、途中のゴマ畑を通った時、生い茂ったゴマで白馬が目をつき片目を失明という御難にあわれました。
黒姫の神様は、すぐさま蛇に乗り換えて入山までお着きになりました。そこからは神風にのって上石黒に降り、社を建てられたそうです。これを「黒姫神社」と呼ぶようになったそうです。 その際、乗りすてられた蛇がその場で蛇岩と化したといわれ、馬が難渋したあたりのゴマ畑は今もなお草木が育たず岩肌が露出しているそうです。これは、神の怒りとも馬の悲しみともいわれています。
なお、黒姫様がお通りになった道筋には、手箱岩、小槌岩など同質の岩石が点々と残っており、中でも地蔵峠の林の中の大岩は、冬季間の道しるべとなり、岩陰に身を寄せて命拾いをした人もあるといいます。

この蛇岩から、はるか谷底に位置する上石黒地区では、朝な夕なに蛇岩を仰ぎ見て、蛇の尾が上をむけば晴れ、下に垂れる時は雨といっているそうです。空中の水分含有量によって異なって見えるのかも知れません。また、蛇岩から上は山菜取りを禁じられており、この禁をおかした者には神の祟りがあるといわれています。

地蔵峠と塩の道(上石黒)

むかし、石黒村の板畑という地区にお地蔵様を深く信仰する気立ての優しい娘がいました。毎晩のように峠までお地蔵さんをお参りに通っていたのですが、ある日後をつけて来た浪人風の男に手篭めにされそうになりました。なかなか言うことを聞かない娘に男は怒り、娘に斬りつけました。その時です。一瞬、娘の前に何者かが現れ娘の身代わりとなって斬られました。見ると、それは娘が毎日お参りをしていたあのお地蔵様でした。お地蔵様は、男の刀で左肩から右の脇まで袈裟がけに斬られていたそうです。
その時、おりしも峠の上に二十三夜様が舞姫と共に昇天したといいます。これから後、この地を”地蔵峠”と呼ぶようになったそうです。

板畑のはじまり(板畑)

延元3年(1338年)新田義貞が越前藤島において討ち死にし、その子義据、義行は一族を引き連れ魚沼を経て板畑に入り、現在のしゅうらくの東方約200mにある城管山に陣地を築き、敵の攻撃に備え、仁田万次郎をこの地に残しました。
その後、城管山は地すべりのため、ハゲ山の下500mの地(通称:ハタケ田)に城を移しましたが、そこも何年か経つうちに大雪と雪崩の危険のため、旧神社下を永住の地と決めたといいます。また、敵の攻撃に備えて金の茶釜に大判小判を詰めて井戸の中に埋め、大切な硯箱は神社の境内に埋めたと伝えられています。
昭和20年頃のこと、開田のため土を移動して掘ったところ、柱材、鉄兜の紋章、4cm位の金の観音様が発掘され、何年かこの地に住んだことが確認されています。この時作業にあたった人々は、何か宝物が出るだろうと思って一生懸命働いたといいます。
その後、東に阿弥陀様、西に諏訪様、向家に薬鉢を分け与えてそれぞれの分家として出したのが板畑地区の始まりだと伝えられています。

※上記の伝説は平成14年7月10日に発行された「柳郷の伝説」(著者:春日義一)より転載しました。

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