山中地区に伝わる伝説[柳郷の伝説]

中谷家の刀・異説 中段家の刀

むかしむかし、蒲生の池に大蛇が棲んでいました。
その大蛇はある日、信州(今の長野県)の野々見の池へお嫁さんをもらいに行きました。野々見の池の大蛇は「蒲生の泥池になんか嫁にやれるか!!」と断りました。
蒲生の池の主であるこの大蛇は「蒲生の泥池」とののしられたことに腹をたて、ついに大きな争いとなってしまいました。蒲生の大蛇は近くの家に刀を借りにいきました。その家では「蒲生の大蛇など得体の知れないものに大刀を貸したら返してもらえないのでは・・・」と思い、小刀の方を貸したということです。
一方、野々見の池の主である大蛇は、どうしたことか遠く越後の山中の中谷家まで刀を借りに来たのでした。人の良い中谷家では、黙って大刀を貸し、いつしか貸したことを忘れてしまっていました。
それから1年が過ぎましたが、中谷家には誰も刀を返しには来ませんでした。そして、冬が来て雪が降り、屋根の雪おろしをしようと中谷家の人が屋根にのぼった時、その貸した大刀があったそうです。壮絶な戦いの後、大刀を使った野々見の池の主である大蛇が勝ったのでしょう。そして主を失った蒲生の池はそれから数年で泥が固まって無くなったということです。 中谷家に刀を返しに来た野々見の大蛇が戦で受けた傷を癒やしたのが”月湯女の湯”だと伝えられています。そして、この刀は今も山中にあり、毎年1回、1月16日に鍔元一寸だけ見せていただけるそうです。(※全部を抜くと血を見るまでは鞘に収まらないといわれているそうです。)

注)中谷家は室町時代の末、上州館林よりこの地に移住した石塚と名乗る士族といわれています。
また、野々見の主と蒲生の主の勝敗は、信州と越後では変わって伝えられているものもありますが「大刀を返したこと から、野々見の勝ち」「蒲生の池が消滅したから野々見の勝ち」ともいわれる説もあります。しかし、「月湯女の湯で傷 を癒やしたのが野々見の大蛇といわれているので野々見の勝ち。」ということです。

異説 中段家の刀

今は絶えてしまいましたが、「中段」という屋号の家は山中地区では最も旧家のひとつであり、名刀を保有していたそうです。
この刀は幾度か売買されることがありましたが、買受人に不思議なことが起こるため、ついには買い手もなく、売ることも出来ずそのままにしてあったそうです。その後「中段」は廃家となり、その刀は分家の文吉に移ったそうです。
今、1月16日と8月16日の年2回だけ見ることができるというこの刀には、こんな話が伝わっています。

むかしから「中段」の家には良い刀があったそうです。 ある日、蒲生の池の大蛇が野々見の池へ嫁をもらいに行ったのですが、野々見の池の主が「あんなゴミ池に嫁に行くのか?」といったことからケンカになったそうです。
その時、蒲生の池の大蛇が「中段」のところへ人間の姿になって刀を借りに来たそうです。しかし、刀は借りたものの自分では黒金を使えない大蛇は人間の度胸を試すために、野々の見の池の道端で胴だけをだしていました。通る人はみな青くなって逃げましたが、ひとりの侍は怖がらず臼のような大蛇の胴をまたいで通ったそうです。すると大蛇は人間の姿になって「お前のような度胸のいい人はいない。俺がこの中に入って掻きまわすから、浮いてくる泡を切ってくれ。」といいました。そして侍が承知すると大蛇は中に入って掻きまわし始めました。するといっぱいの泡が出たそうです。それを斬ると臼のような胴が池いっぱいになり、近くの川が7日7晩も血の川となって流れたそうです。
それがすんで刀を返す時「中段」の裏のケヤキの木につるしておいたそうです。鍔を落としてしまったためにそのように黙って返したのでしょうか。だからその刀は今も鍔が無いということです。
それから野々見の池の端の竹は赤いといいます。

また、山中の人は野々見へ行っても「山中のものだ。」とはいわないそうです。なぜなら、言ってしまったら大事、いくら良い天気であっても曇って大雨になるとか・・・大蛇の怨念があるという話です。

山中の団左エ門狢

山中のナギ野というところに「ダンゼンむじな」と呼ばれるむじなが棲んでいました。そして、その棲んでいる穴は海の底を通って佐渡まで続いているといわれていました。
その穴のある場所は屋号「彦七」という家の持ち山で、春先に燃料にする木をここで切っていたのですが、この場所に下には「藤吉」という家の林があるために下へ転がし落とすことはできませんでした。「明日はこの木を全部背中にかついで運ばなければならない。大仕事だぞ」と彦七の家の兄弟が話し合いながら家に帰ったそうです。
翌日、兄弟が山へ行ってみるとあれほどあった木の束が全部下の道へ降ろされていました。彦七の兄弟は「ダンゼンむじなが俺らの話を聞いて運び降ろしてくれたんだ。」と大喜びし、そのお礼に蕎麦団子を一篭、ダンゼンむじなの穴の入り口に持っていったそうです。
また、このダンゼンむじなはお膳の揃ったもの一式を持っていたということで、山中の人は振る舞いをする時、その膳椀を借りてきたという話もあります。
このむじなの宝物は、丸い玉で棲んでいる穴の入り口に虫干しをしていたそうですが、人が近づくと穴の中へコロコロと転がりこんだということです。
またある日お寺へ授戒についた時、見たこともない人が座っているので名前を聞いたら「川東の作助だよ。」といったそうです。後でわかったそうですが「あれはダンゼンむじな」だったとみんなで話題になったという話しもあります。
また、旅人がナギ野の峰を通ると時々化かされたといいますが、山中の村の人を化かしたという話はないそうです。昭和の始めの頃までは「ダンゼンが火をたいた。」という話を耳にしたそうですし、薬師岳のお祭り後には必ず「ロンロン、ロンロン」と片太鼓の音がしたとか・・・

ある時、桐沢の人が「ダンゼンむじな」を捕るといって4〜5人で山中に来たそうです。しかし、鉢巻をして田打ちをしている老人に化けたむじなに「お前たちむじなを捕るなんて駄目だと思うぜ。反対に化かされんようにな。」といって帰してしまったという話もあります。

※上記の伝説は平成14年7月10日に発行された「柳郷の伝説」(著者:春日義一)より転載しました。

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