藤五郎狐(栃ヶ原地区)[柳郷の伝説]

”狐の夜祭り”のモチーフとなったお話です。

藤五郎狐

むかしむかし、その昔、栃ヶ原の柿の木坂に1匹の古狐が棲んでいました。この狐が時々人を化かすので、村人や旅人は大変迷惑していました。勇気のある村人はもちろん、旅人の中にもこれまで何度となく古狐を退治に出かけましたが、その度に逆に化かされて帰って来ました。
「清助どんが、また狐退治に失敗したそうだ。」
「仙兵エさんがやられたそうだ。」という話が伝わるたびに、村人たちは一層恐れおののき、不安な毎日は続いたといいます。
その頃、村の庄屋”おまえ”という家に、藤五郎という若者がいました。ある日の夕方藤五郎は、鍋と一反木綿の帯を持って柿の木坂へと向かいました。 「おらバサ(うちのお婆さん)はお寺参りに行ったんだが、馬鹿に(すごく)遅くならんばいいが・・・。」と、独り言を言いながら「ばぁーさ(お婆さん)。ばぁーさ。」と、大声で呼びました。
しばらくすると「おお、藤五郎だかや。よう来た、よう来た。迎えに来てくれたかや。」と、藤五郎の祖母にそっくり化けた古狐が、枝を突きながら柿の木坂を登って来ました。 藤五郎は、祖母にそっくり化けた古狐に「お寺への往復じゃくたびれた(疲れた)ろう。俺にばれらっしゃい(おんぶされなさい)。遅くなると思って帯も持って来たすけ。」といって、用意してきた一反木綿を帯にして、この古狐を背中にグルグルに縛りつけ、歩き出しました。
村が近くなるにつれ、背中にグルグル巻きに縛りつけられたこの古狐も不安になり動き出すので、藤五郎は用意してきた鉄鍋を頭にかぶって狐の攻撃に備えました。

そして、いよいよ不安になってきた古狐は「藤五郎や、おらぁ小便がでたくなった。」といいだしました。
しかし、藤五郎は「ばれてこかっしゃい(おんぶされたまましなさい)。」といいました。
また、しばらく歩いて村の灯りがちらほら見えるところになると、この古狐もますます不安になってきて「藤五郎や、こんだぁ(今度は)アッパ(大便)が出たくなったてば。」といいだしました。姿こそ祖母だが、本当は狐であることは十分承知している藤五郎は「おろすのは面倒だ、もうちっとで家に着くすけ、我慢さっしゃい。いよいよになったら、ばれててやらっしゃい(おんぶされたまましなさい)。」といい、藤五郎は何を言っても相手にしませんでした。
家に着いてしまっては困ってしまう古狐は、背中で必死になってもがいてみるがどうにもならず、とうとう藤五郎は家の敷居をまたぐとすぐに「ねぇーら(おまえ達)、ねら、今日こそ狐を捕まえて来たぞ。念の為だ、おらバサ(うちのお婆さん)さいるかや。」と大声で怒鳴りました。
すると、化けた狐とウリ二つの藤五郎の祖母が家の人と一緒に出てきました。
藤五郎は「それ、ハシゴの下で火を焚け!」と、庭の土間(玄関)から屋根裏まで続く大ハシゴにこの古狐を縛り付けると、下からどんどん火を焚きました。
古狐は焚き火の熱さにまず尾を長々とだし、罪をわびて助けを乞うたが、そのうち焚き火の勢いで縄に火がつき、土間(玄関)にドーンと落ちました。縄が切れた古狐は、玄関のクグリを逃げながら「クソッ藤五郎、焼き藤五郎!この恨みでこの家は3年のうちに絶やしてやるぞ!」と悪態をつきながら逃げだし、とうとう村はずれの野崎の地(字 小林)で遂に命を落としてしまいました。
栃ヶ原に定住してから、破竹の勢いで栄えて、百姓若衆や御女中をかかえて、権勢飛ぶ鳥をも落とす勢いだった「おまえ」の家も、その後3年、急速に没落したと伝えられています。

「おまえ」の家は、何時の頃か知らないが、一族が栃ヶ原に入って来て「六左衛門」の家に世話になり独立し、それから急速に栄えたといいます。また、一説には”春日”の性の総本家だともいわれています。

※上記の伝説は平成14年7月10日に発行された「柳郷の伝説」(著者:春日義一)より転載しました。

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