黒姫の伝説[柳郷の伝説]

黒姫山は高柳の人々に「くろひめさん」と親しまれています。伝説によると黒姫さんは女性の神様で、その名前を”罔象女命(ミズハメノミコト)”といい、越後の国を治めた大国主命(オオクニヌシノミコト)のお后であると伝えられています。
黒姫山の伝説は、一般の人たちが考えているよりもはるかに少なく、大正元年編の高柳町誌ではこのように書かれてあります。

黒姫の岩屋

黒姫山に「七池七岩屋」ありきと伝えられていますが、池はおろか、岩屋の全部を知る人も現在では少なくなってきています。伝説の岩屋のうち、柳郷の伝説で紹介されている4つの岩屋をご紹介します。
☆東の岩屋
神社の裏の岩壁にあります。(付近の神罰があるというので、今までに踏査したという人を知りません。)
☆西の岩屋
美しい姫が機を織っていたという、黒姫機織神の由来にまつわる岩屋です。古屋敷の西側の岩壁にあると伝えられています。
☆北の岩屋
最も知られている岩屋で、神社裏から白倉に向かって約10分のところにあり、清水谷集落に向いた断崖にあります。罔象女命のお船が軸が突き当たって出来たと伝えられており、深さ三間(約6m)、高さ一丈四尺(約5m)といいます。道から岩屋までは断崖で岩伝いに行かなければなりません。
☆南の岩屋
中後(板畑集落より黒姫寄り、今は集落の跡地がかすかに分かる程度です。)から見える岩壁にあるといいます。
以上の4つの岩屋を先人の残した書物からご案内しました。

神社に伝わる「黒姫山略縁記」

三才五行(三才=天・地・人。五行=木・火・土・金・水の称)は陰陽の大元にして、人身の最初である。遠い神代の昔より人の考えにて計ることのできないのは、神徳である。そもそも、当山に宿らせ給う鵜川神社黒姫大明神と申し奉る罔象女命(みずはのめのみこと)は、地の五行のうちの一つ水を司る神である。
この御神北海の波涛をお渡りになり、磐の御船にて当山に進ませ給うた。その時、鵜の鳥羽翼を双へ御船の綱手をくわいて、先達して曳き上げ奉り鎮座し給うことによって鵜川神社と申し奉る。 今に山中に船路の跡として、北海の土砂草木の色異なることは衆人の見るとおりである。鵜の鳥が羽翼を休ませた時、御腰を掛け給うた石に左の御手の跡がある。そのところより、五丁余登って岩窟に御休み給うた処を御休みの窟という。それより西の窟に入り給うたが、これが御鎮座の霊窟である。ゆえに信心の輩丹誠をもって山籠いたせば尊神の御機(おんはた)を織り給う音など、松吹く風と詩ともに聞く人今もままある。
また御船を繋ぎ給うた処を船の大倉といい、御手洗の尾清水ヶ窪の流れの末を清水谷という。帆柱を置き給うた処を磯之辺帆柱石といい、数丈の立石がある。山中に七つの池があり、その処に鵜が来て常に遊ぶ。また羽を干さんとて集まる一樹があり、これを鵜の羽干木という。
都て池水清冷として大早といえども涸ることなく、また溢れることもない。若しくは早魃の時衆人を起こして雨を祈る時は、忽然と雲起こり晦瞑として雷鳴し、古より今に至るまで慈雨を降らさなかったことはない。
往昔人皇十二代景行天皇の御宇武内宿弥越の国を見察し給う時に、嶺瑞雲?靆(みねずいうんあいたい)を見て、これ必ず尊神の鎮座しておられるであろうと尋ねられた時、鵜川神社罔象女命山中を出で給い、悠然として厳かなる御声にて、武内宿弥に神託して曰く「我は是地五行水徳の神なり。故に大早の時天下の民誠心を以雨を乞祈らばかならず甘露の雨を授くべし。是我司とる処なり。」と詫有るによって、船の大倉の磐山に瑞殿を建立せられた。
その後人皇四十代天武天皇白鳳六丁丑年(677)詫によって十余町子丑(北北東)の方へ社を引く、社跡の磯千歳の雲霜を経たといえども猶苔むして、霊場今も明白である。その後人皇第百一代後小松院御宇、応永二乙亥年(1395)右之社より三町余東の方へ社を?す。今の社地がこれである。また当山の坤(西北)当たって一峯があり、松高うして千春の翠は三五色をなし、清冷たる静嵐は参詣の肝を涼した。ゆえに神木と称せる霊木である。

御神詠歌”黒姫の嶽にも船のかようらん三五の松の露をたよりに” 注)この略縁記は、原文の意に添うように書き替えた。

黒姫拂川伝説

むかしむかしのこと、一人の猟師が黒姫山の中腹を中心に一日中狩りをしていました。しかし、その日は運悪く朝からウサギ一匹にも出会わず、山深く歩いた疲れもあって、気分もムシャクシャしていたあまり、猟師は持っていた弓に矢をつがえ山頂に向かって矢を放ちました。
しばらくすると、一天にわかにかき曇り、雷鳴と共にもの凄い豪雨にみまわれ、妖気渾然と身に迫る思いでした。猟師は慌てて帰ろうとしましたが、拂川(磯之辺集落から黒姫山登山口の間にある)の近くまで来ると、怒髪の形相もの凄い鬼が両手を広げて立ちふさがりました。
それから猟師はどこをどう逃げたかも記憶にないまま家に帰りましたが、生きた心地もなく、長く床に伏せったと伝えられています。

「伝説の黒姫」(大正元年高柳村誌)
「黒姫大神は伝説によると西頚城郡一の宮村黒姫山鎮座の奴奈川姫命であって、越後の国を経営された大国主命の妃で、建御名方命(諏訪の大神)の御母である。その昔この地に植民を図られ、機織など土民に教えられたので、後年住民の敬慕の情切なる余り機織りの神として合せ祀る。」と記されています。

※上記の伝説は平成14年7月10日に発行された「柳郷の伝説」(著者:春日義一)より転載しました。

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